2024年11月1日 新規開院!
※当院を受診される方へお願い
ご予約がない方の受付時間は(初診・再診とも)
午前診 11:00まで 午後診 18:30まで です。
当院ではWEB問診が行えます。予約後、WEB問診ご入力されてからご来院いただくと受付がスムーズです。
来院時は受付に「WEB問診に回答した」旨お申し出ください。
こんな不安や悩みを抱えておられませんか?
こんな不安や悩みを抱えておられませんか?
□ なんとなく体調がすぐれない
□ 健康診断で引っかかり、受診を勧められている
□ 以前から辛い症状が続いているが何科に相談すればよいかわからない。
□ 家族に高血圧・糖尿病・がんの人がいて自分も生活習慣病が心配だ。
□ 学校や会社での人間関係がうまくいっていない
上記に一つでも該当する方は、お一人で悩まず、泉佐野あだちクリニック内科・小児科・アレルギー科にご相談ください。
0歳から100歳を超える方まで、ご家族皆様の診療を行います!
0歳から100歳を超える方まで、ご家族皆様の診療を行います!
□ こどもの受診や予防接種を優先しがち
□ 高齢者の受診や健診への付き添いを優先しがち
□ 乳幼児の受診や定期予防接種には対応していないと言われた
□ 小児科から内科への移行を打診されて悩んでいる
□ 家族中が同じ症状なので1か所で診て欲しい
泉佐野あだちクリニック内科・小児科・アレルギー科にご相談ください!
急病や慢性疾患の診療をはじめ、日常生活で生じるけがの診療も行います。
急病や慢性疾患の診療をはじめ、日常生活で生じるけがの診療も行います。
□ 生活習慣病、アレルギー
□ 認知症、発達障がい
□ インフルエンザなどの感染症
□ やけど・切り傷・擦過傷などのケガ
□ 予防接種や健診
泉佐野あだちクリニック内科・小児科・アレルギー科にご相談ください!
外来診療はもちろん、通院が難しい方には訪問診療を行います。
外来診療はもちろん、通院が難しい方には訪問診療を行います。
□ 一人での通院も付き添いでの通院も難しくなってきた
□ 通院が難しくなってもかかりつけ医は替えたくない
□ 子ども、大人に関わらず訪問診療をして欲しい
□ 人工呼吸器や胃瘻栄養が必要でも病院の外で生活したい
□ 人生の最後は住み慣れた場所で迎えたい
訪問診療は、おひとりでの通院が困難な方が対象です。
自宅や施設などの住み慣れた場所へ定期的に訪問し、診療を行います。
泉佐野あだちクリニック内科・小児科・アレルギー科にご相談ください!
ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
「泉佐野あだちクリニック内科・小児科・アレルギー科」院長の安達 晋吾(あだち しんご)です。
当クリニックは、大人も子供も、病気もケガも、通院も訪問にも対応する、地域に密着したクリニックです。
内科全般や、小児科、アレルギー科、皮膚科、精神科などの診察も行っています。お困りのことがございましたらなんでもご相談ください。
当クリニックの使命は、
「医療を通じて地域の皆様の生命、生活、人生に寄り添い、安心して暮らせる街づくりに貢献する」ことです。
訪れると温かい気持ちになり、自然と笑顔がこぼれる、『安心できる場所』でありたいと考えています。一人で悩まずに、どんな些細なことでもかまいませんので、お気軽に相談してください。
名 前:安達 晋吾(あだち しんご)
山口県出身 8月生まれ しし座 A型
干 支:卯(うさぎ)
動物占い:落ち着きのあるペガサス
特 技:すぐ眠れる
日 課:ラジオ体操(第1、第2、第3)
好きな食べ物:魚介、果物(マンゴーはアレルギーが出るので泣く泣く禁止しました)
好きなお菓子:揚げかき餅(砂糖)、ラムネ、ポテトチップス
好きな動物 :鳥
好きな場所 :雑貨屋
好きなYouTuber:きまぐれクック
やってきたスポーツ:軟式テニス、弓道、登山
幸せを感じるとき:
家族と一緒にペットのインコ達と遊んでいるとき
密かに嬉しく感じるとき:
息子と二人で出かける機会があるとき
【院長の略歴】
2004年に滋賀医科大学医学部医学科を卒業。
長浜赤十字病院で初期臨床研修を修了、同院の小児科専攻医となり、一般小児科診療から新生児集中治療 (NICU)まで研鑽を積みました。
国立成育医療研究センターでは、総合診療部にて発達や重症心身障がい児の診療を、小児集中治療室(PICU)にて重症小児の救急・集中治療を学びました。
りんくう総合医療センター・大阪府泉州救命救急センターでは、成人の疾患や外傷の救急・集中治療について経験を重ねました。新型コロナウイルス感染症の流行期も含め、泉州地域で働いて10年以上になります。
【院長の資格】
日本救急医学会 救急科専門医
日本小児科学会 小児科専門医
ICD(インフェクションコントロールドクター)
日本化学療法学会 抗菌化学療法認定医
認知症サポート医
エピペン処方登録医
舌下免疫療法登録医
ADHD適正流通管理システム登録医
緩和ケア研修会修了
臨床研修指導医
日本DMAT
産業医
【所属学会】
日本プライマリ・ケア連合学会
日本在宅医療連合学会
日本救急医学会
日本臨床救急医学会
日本小児科学会
日本小児心身症学会
日本小児救急医学会
日本アレルギー学会
日本化学療法学会
<こども時代>
自然豊かな海や山、川に囲まれて育ち、近所のお兄ちゃんや友達と虫取りや魚釣りを楽しんでいました。特に魚釣りが大好きで、幼稚園の頃には魚図鑑を何度も読み返してボロボロになるほど。新しい図鑑を買ってもらったこともありました。小学生の頃は大人向けの釣りの本をたくさん読み、お年玉のほとんどを釣具屋さんの新年セールに使っていました。両親はよく自由にさせてくれたと思います。
また、当時は『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』『ドラゴンボール』など、週刊少年ジャンプの80年代黄金期でした。毎週の発売日が楽しみで、『キャプテン翼』の影響で放課後は毎日サッカーをしていました。友達と「スカイラブハリケーン」を試してみたことも懐かしい思い出です(笑)。
ファミコン世代ですが、私は『スーパーマリオ』が苦手でした。息子が小学生の時、一緒にSwitchの『スーパーマリオ』をプレイしましたが、下手すぎて息子に怒られたこともありました。ロールプレイングゲームは大好きで、『ドラクエⅢ』の発売日にはお店の前に並んだことも覚えています。ゲームは1日1時間までと両親と約束していたので、クリアするのにとても時間がかかりました。
毎日遊んでばかりで、全国には一生懸命勉強している小学生がたくさんいるとは、その時は知りませんでした。
<体験>
家族や親戚に医療関係者は少なく、「物心ついた時には自然と医師を目指していた」というわけではありません。しかし、振り返ると子ども時代の生活の中に、自分の人生を方向付ける体験がありました。
私には3歳下の妹がいます。妹は難産で生まれ、重度の知的障がいと軽度の身体障がいがあります。幼稚園の年少くらいの時、母が家のすぐ外で用事をしている時に、妹と二人で家の中で遊んでいたことがありました。その時、妹が突然引き付けを起こし倒れたのです。怖くて動揺しながらもどうすればいいのか必死に考えました。助けを求めようと玄関の外に出ようとした時、母がちょうど家の中に入って来て、すごく安心したのを今でも覚えています。近所の方の車で妹を診療所に連れて行ってもらい、車内で妹の無事を必死で祈りました。
その後も妹は熱を出す度にひきつけを起こしたり、喉に飴を詰めたりと、両親、特に母は本当に大変だったと思います。妹が通った養護学校(現在の支援学校)は自宅から遠く、学校の近くにある養護施設の寮に入っていました。土曜日の昼に迎えに行って自宅に戻り、日曜日の夕方には再び寮に連れて行くという生活を小学生の間、毎週続けていました。
私自身もアレルギー性鼻炎がひどく、一晩でティッシュケース1箱を使い切ることもありました。小学3年生の時、病院で腕の皮膚に針で傷をつける検査をし、小学6年生まで何十回も注射をしに病院へ通いました。医学部に入ってから、自分が受けたのはスクラッチテストと皮下注射法による免疫療法だったと理解しました。おかげで鼻炎症状はなくなりましたが、今では自宅でできる舌下免疫療法もあり、少し羨ましく思います。
<中学・高校時代>
中学受験とは無縁の小学時代を経て公立中学に入学し、軟式テニス部に入りました。部活中心の生活で、早朝からの練習、夕方の練習で疲れ切って晩御飯を食べながら寝落ちする日々でした。部活禁止となる定期テスト前の1週間だけは集中して勉強しました。中学3年の夏に軟式テニス部を引退しましたが、陸上部から駅伝の誘いがあり、受験直前まで走っていました。体力もあったおかげで無事に高校受験を乗り越え、地元の公立高校に入学しました。
高校に入ってからは驚くほど勉強への意欲がなくなり、毎日青春を謳歌していました。2年次に理系・文系を選ぶ必要がありましたが、自分の進路としてエジプト考古学(文系)か生物学(理系)のどちらかの研究者になることを漠然と考えていました。エジプト考古学は本当に魅力的でしたが、国語が苦手だったため文系は諦め、理系クラスで生物学の研究者を目指すことにしました。しかし、勉強意欲は湧かず、浪人が決定しました。そこでようやくスイッチが入り、予備校の授業が始まるまでの期間に最も学力を伸ばしました(遅い!)。
<大学入学と医学部再受験>
1年間の予備校生活を経て、理学部生物学科に入学しました。初めての海外一人旅はエジプトで、カイロ、ルクソール、アレクサンドリアなどを訪れ、考古学への情熱を現地で発散しました。
しかし、大学生活の中で何かがくすぶり始めました。予備校時代に出会った数学講師の一人に、精神科医の肩書きを持つ方がいました。数学の授業の素晴らしさだけでなく、人間の優しさに関連するお話をされることが多く、心温まる物語を授業で配布するユニークな先生でした。大学に入ってから、文学作品や心理学・精神医学に関連する書籍を読む機会が増え、彼のような人間になるには医学部にヒントがあるのではないかと思うようになりました。1年間悩んだ末、再受験を決意しました。
幸い医学部に入学できましたが、両親には大きな心労と経済的負担をかけてしまったことに本当に感謝しています。
<小児科医を選び、その後救急医となるまで>
医学部入学後、5年生のポリクリ(臨床実習)で小児科をまわった時、新生児治療室(NICU)の先生が見せてくださった番組のビデオがきっかけで、小児科専攻を決めました。生まれた直後にNICUに入った妹に対するお兄ちゃんの愛情が画面越しに伝わり、涙が止まりませんでした。
初期臨床研修制度が始まる最初の年で、小児科のアクティビティが高い病院での臨床研修を選びました。2年目の後半からは実質的に小児科の専門研修に入り、感染症やアレルギー疾患などの一般的な小児科診療に加え、NICUでの新生児集中治療の経験も積みました。その間、重症の呼吸不全で人工呼吸管理に難渋した経験や、痛ましい事件で重症の外傷を負った子どもの救急搬送時のファーストタッチを経験しました。
カナダやアメリカの小児病院を見学する機会もあり、重症の子どもたちの命を救うには、日本にはまだ少ない小児集中治療室(PICU)での研修が必要だと感じました。次の研修先として東京にある小児専門病院を選びました。
PICUは心臓手術や移植手術の前後管理、重症の感染症や内科的な病気の全身管理など、重症の子どもたちの集中治療を行う場所です。子ども特有の病気でPICUに入院していることも多いですが、治療の手段や全身管理の考え方は成人と共通するものが多いです。また、重症外傷については救命救急センターに搬送されるため、成人救急、特に外傷診療に長けた救命救急センターでの研修が必要だと考えました。それが大阪府立泉州救命救急センター(現在のりんくう総合医療センター・大阪府泉州救命救急センター)でした。
1年間泉州救命救急センターで研修し、一旦東京に戻りましたが、その後再びご縁をいただき、常勤の救急医として小児・成人を問わず診療にあたってきました。
「お母さんは診察室を出る時、笑顔だったか?」
これは私が小児科医として研修を受けていた時、恩師からいただいた大切な言葉です。この一言には、臨床医としての重要な教訓が詰まっています。
医療現場でお会いする時、患者さんやそのご家族は多くの場合、辛い状況に置かれたり、不安を抱えています。大きな病気やケガは、患者さんやご家族にとって非日常的な出来事です。私はそのような非日常から患者さんとご家族を救いたいと願い、15年以上にわたり子どもと大人の救命救急医療に携わってきました。
その間、命を救えなかった患者さんや、大きな後遺症が残った患者さんもいました。また、本来なら住み慣れた場所で最後を迎えることができたはずの患者さんもいました。
予防接種や病気の早期発見・早期治療、慢性疾患のコントロールができていれば、病気が重症化するのを防げたかもしれません。筋力低下を予防したり、安全装置の適正使用を啓蒙できていれば、転倒や事故などの大きなケガを防げたのではないかとも考えます。日常的に医療が必要な状況でも、病院から離れて医療を受けることで、患者さんとご家族の生活や人生が豊かになる可能性があります。人生の最終段階においてもご自宅で過ごすことができれば、患者さんも幸せなのではないでしょうか。
これらを実現するためには、物理的にも心理的にも患者さんとご家族の身近にあり、日々の生活の中で共に歩む医療者が必要だと強く思いました。そのために、地域の皆様に寄り添える場所、私の想いに共感してくれるスタッフと一緒に働ける場所を作りたい。こうして私は独立する決意を固めました。
小児科医としての経験と救急医としての経験を活かし、患者さんとご家族が笑顔で診察室から出ていかれるような、安心していただける医療を提供したいと考えています。
日々の生活の中で、「なんとなく体調がすぐれない」「健診で引っかかり、受診を勧められている」「学校や会社での人間関係がうまくいっていない」など、様々な不安や悩みを抱えている方は多いと思います。
当院の使命は、
「医療を通じて地域の皆様の生命、生活、人生に寄り添い、安心して暮らせる街づくりに貢献する」
ことです。地域の皆様から信頼されるクリニックになることを目標に、患者さんお一人お一人の声に耳を傾け、適切で質の高い医療を提供していきます。
体調や健康に不安があるとき、誰に相談すべきか分からず一人で悩んでいるときに、「あだちクリニックに話しに行こう」と思っていただける、そんなクリニックを目指しています。
訪れると温かい気持ちになり、自然と笑顔がこぼれる、『安心できる場所』でありたいと考えています。
そのために、当院では「三方よし」の価値観を大切にしています。
これは、患者さんとそのご家族、地域社会、そして私たちスタッフの三方すべてが安心できるクリニックを目指すものです。
笑顔と感謝と思いやりを忘れず、チームワークを大切にしながら誠実で前向きに仕事に取り組み、地域の皆様から信頼されるクリニックを築いていきます。
泉佐野あだちクリニック
内科・小児科・アレルギー科
〒598-0031
大阪府泉佐野市東羽倉崎町8番19号
TEL:072-447-9622(代表)
072-447-9623(在宅)
FAX:050-3385-2388